5.佐藤貞雄,ルドルフ・スラビチェックテクニック時代(1)人類の進化の特異性
人類の進化の特異性
佐藤貞雄、ルドルフ・スラビチェックテクニック時代について述べる前に、まずは、オーストリアンナソロジーの発想の根源に関して述べていきたいと思う。
我々人類(ホモ サピエンスサピエンス)が扱っている咀嚼器官は、単純に“咀嚼”することのみを担っているのではない。人類(ホモ サピエンスサピエンス)のこの“咀嚼器官”は系統発生的に特徴のある変化を成し遂げてきたということを認識、理解していかなければならない。
個体発生のハイライトを何度も何度も繰り返されてきた遠大な系統発生の狭間で、人類(ホモ サピエンスサピエンス)は暫間的な機能不全を呈するときがあったことが証明されている。このことは、一体何を言っているのであろうか?
哲学者カール・ライムント・ポパーは、神経生理学者でありノーベル生理学・医学賞受賞者ジョン・カリュー・エックルスとの対談のなかで、“Speech makes the brain; the brain makes speech.”(1)という言葉を残した。エックルスも“Man created himself through his descriptive speech.”(2)の言葉を残した。
つまり、脳の発達と言語の発達はお互いに深く影響しあってきたとの主張がなされた。
肉体的なことでいえば、初めて二足歩行を獲得したと同時に、脳頭蓋底部の大きな変化を獲得した。特に歯列を含めた上顎―下顎複合体の大きな変化をなし遂げた。これらの大きな変化は、人類特有のものである。咀嚼器官の構造、機能、その脳機能との関係または、精神との関係など、いままでの地球上の歴史においててこれほどの短期間で、機能面においての変化を起こした器官はない。これらの大きな変化は、周囲環境の中で守られ、又、逆に環境を作りかえながら発達してきたものと思われる。
有名なチャールズ ダーウインは19世紀20世紀の生物学のなかで、人類の進化適応発展の理論(3)をもって大きなインパクトを与えてきた。ダーウインの主張するところは、Phyletic Gradualism(漸進的系統発生学。自然は跳躍しない)と 呼ばれるゆっくりと周辺環境に適応しながら進化していくという考えで、異種のものが同時に同所で変化していくという理論である。
同学派のなかにエルンスト・ウォルター・マイヤーがいる。同博士は、ネオダーウイニズムの形成に加わった。同氏は、基本的な理論はダーウインを踏襲しながらも、孤立集団を形成することによって独特の表現型を形成していく可能性を示唆した。孤立集団は、母集団と離れることにより、母集団の遺伝子の流れから孤立することによる、優位性を発揮することができる。つまり母集団より急速に効果的に種形成を成し遂げることができたに違いない、という考えである(4)(5)(6)。これらの好条件が整い“人類化”に一歩近付いたにちがいないとした。
しかし、Homoの一種であるアウストラロピテクス等は生存することはできなかった。クラシックなダーウイニズムもネオダーウイニズムもいずれも、種種の科学的検証の上で証明しきれない現象があった。
N. エルドリッチとゴウルドが、Phyletic Gradualism(漸進的系統発生学。自然は跳躍しない)のなかで新しいモデルを発表した。不連続的な種形成の停滞は、長期に渡る進化的な淀みをもたらし、 種族の中でも生きながらた突然分岐進化の一群は、平均種よりも早く進化を遂げた。この急激な変化は、母集団の中心から離れたところで集団をなした上で、平均種と比べると強烈に異なったため、結果として異所性に孤立して生息することとなった。
彼らは、最初は大変に人口密度が低かったが、孤立という環境が彼らを外敵から守った。つまり、領土のなかには同一種や同一種に近いものは一切いなかったといえる(7)。
我々ホモ サピエンスサピエンスのこの進化のスピードはいままでになかったあまりにも早いスピードでなされてきたものです。そのようにして、勝ち残った我々ホモ サピエンスサピエンスの特徴をいくつか挙げていきたい。
過去の人類と比較しますと脳の容量が4から5倍ほど増加し、同時に言語能力も爆発的に発達し自我の概念ができたと思われます。姿勢は大きく変わり、直立二足歩行を獲得しました。前傾気味であった頭蓋もアップライト(直立)し大後頭孔の位置が後方だったのが、前方へ移動し頭蓋骨の真下に位置するようになりました(8)。上頸椎の運動機能域も増し、頭部の姿勢をコントロールしやすいように変化しました。呼吸器系も発音に備えて十分な呼気を出すため発達しました。かつては、下顎が常に前方位に位置していました。そして、下顎犬歯が大きく発達し上顎歯列の前方にそびえ立っていました。しかし、それも発音機能に備えて徐々に退化しました。現在では、上顎歯列が下顎歯列に対してオーバーバイト、オーバージェットを生ずるようになりました。
これら全ては、人類化(Hominization)のためでした。言語能力が、発達するに従って一人の経験が他の人に伝えられ、逆に他の人からの情報も獲得できるようになりました。このお互いの情報交換が、大脳の爆発的な発達をもたらしたことは間違いないといわれています。
つまり脳の発達と言語の発達はお互いに深く影響しあっています。
結果的に“咀嚼器官”が系統発生的に特徴のある変化を成し遂げてきた。
“咀嚼器官”を考える上で、人類化の過程を認識、理解することは非常に重要になってきます。
参考文献
(1) Popper, K.R., Lorenz, K.: Die Zukunft ist offen ( Das Altenberger Gespräck). Serie Piper, München 1985
(2) Popper, K.R., Eccles, J.C.: Das Ich und sein Gebirn. Serie Piper, München 1982
(3) Darwin, Ch.: On the Origin of Species by Means of Natutral Selection. London (dt.: Die Entstehung der Arten durch natürliche Zuchtwahl. Stuttgart 1867)
(4) Mayr, E.: Animal Species and Evolution. 1963 (dt.: Artbegriff und Evolution. 1967)
(5) Mayr, E.: aus Wuketit, F.M.: Evolutionstheorien/Dimensionen der modernen Biologie 7, Evolutionstheorien. S. 171, Darmstadt 1988
(6) Mayr,E.:….und Darwin hat doch recht. Piper Verlag, München 1994
‘ (7) Eldredge, N., Gould, S. J.: Punctuated Equilibria: An Alternative to Phyletic Gradualism. In: Schopf, T.J.M.(ed.): Models in Paleobiology. S.82-115, Freeman, Cooper, San Francisco 1972
(8) Tilscher, H.: Die Kopfgelenke_ein zusatzliches Sinnesorgan?
人物紹介
カール・ライムント・ポパー(1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。社会哲学や政治哲学にも言及した。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。”Speech makes the brain; the brain makes speech.”の有名な語句を残した。
ジョン・カリュー・エックルス(1903年1月27日 - 1997年5月2日)は、オーストラリアのメルボルン生まれの神経生理学者。1963年、抑制性シナプス後電位(IPSP)の発見によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。
“Man created himself through his descriptive speech.”の言葉を残した。1977年には、カール・ポパーと『自我と脳』(The self and its brain),という本を一緒に書いて、世界的な話題となった。
エルンスト・ウォルター・マイヤー( 1904年7月5日 - 2005年2月3日) ドイツ生まれの生物学者。メンデルの遺伝学とダーウィンの進化論を総合する生物進化のネオダーウィニズム(総合説)の形成に関わった。
N.エルドリッチ 古生物学者の視点で見た進化論について。彼の主張の核は「自分の主張は『ダーウィニズム的進化論は間違ってる!』というものではなく、『それだけでは進化のすべてを説明したことにはならない』というものだ